天才アラーキーこと荒木経惟さんの名言を紹介。示唆に富み学ぶこと多し。「撮る」ことに対してあらためて考えた。

こんにちは。いもてぃーです。

あなたは天才アラーキーをご存知でしょうか?
そう。写真家の荒木経惟(あらきのぶよし)さんです。

天才アラーキーと言えば、奥さんの陽子さんを撮ったモノクロ写真のシリーズが一番有名なんじゃないでしょうか。
陽子さんの表情がすごくいいんですよね。ほんと。
私なんて写真を撮る人間のはしくれとして「すごいなぁ」って惚れ惚れしてしまいます。

荒木経惟さんは陽子さんの写真以外にも人物写真をたくさん撮ってらっしゃいます。
人物の他にも花や空、東京の街のスナップがあります。
どれも彼の目を通して撮影されたものなので独特の世界が表現されてます。
しかしやっぱり天才アラーキーと言えばヌードを含めた人物写真でしょうね。

発売されている写真集や書籍の数もめちゃくちゃ多いのも荒木経惟さんの特徴のひとつです。
Amazonで「荒木経惟」で検索すると書籍がたくさん出てくるので興味のあるかたはやってみてください。

で、今回は何かというと、先日何となくネットと見ていたら偶然に荒木経惟さんの名言が目にとまりました。
気になって検索してみたら名言がたくさん見つかりました。
しかもどれも深い示唆に富んているものばかりです。
「これは、すごい!」写真を撮る者としてとても勉強になるのでぜひ紹介したいと思ったのでシェアします。

アタシはフィルムと被写体を等価にしたいと思っているんだ。

:荒木経惟

いきなりすごいの出ました。さすが天才アラーキーです。

普通はどんなに撮っても被写体そのものの魅力にはかなわない。
写真は写真であって本物ではない。
本物にはなれない。
そういうある種の諦めのような悟りのようなことを考えてしまいます。
たぶんこれが普通。
被写体への敬意や謙虚さとも考えることができます。

しかし天才は違います。
被写体に最大限に敬意を払いつつもフィルム(=写真)と等価にしようと考えている。
被写体そのものと同じ価値を持つ写真を撮ろうとしている。

荒木経惟さんの人物写真を見ていると何となくわかるような気がします。
ほんと写真の中の人物が魅力的に見えるんですよね。

美しさや可愛さだけではなく、写真から感じる怖さや寂しさも含めて魅力的です。

やはり実戦、撮って撮りまくることである。 :荒木経惟

結局はカメラを持ってても撮らないと話にならないし、撮ってる枚数が少ないのも良くない。
やはり写真を上達するためには「数」が必要です。
たくさん撮るというのはそのカメラに慣れるという意味もあります。

私も撮ってきた数は自慢できるほとのものではありませんが、それでも一眼レフやミラーレスを持っていても撮らない人が多いのではないかと感じています。

カメラを持っているのに撮らないのにはいろんな理由があります。
・カメラを買ったら満足してしまった。買うことが目的だった。
・重いので持ち歩くのがいやでスマホで撮っている。しかもスマホの方が便利。
・撮る機会がない。何を撮ったらいいのかわからない。
・思っていたほどうまく撮れない。スマホのほうかきれいに撮れる。
などなど

人それぞれ写真やカメラに対するスタンスがあるので写真を撮らないことがいけないこととは思いません。
個人的にはカメラや写真を楽しめればいいと考えています。

私はカメラも好きだし、「写真を撮る」という行為も好きなのでこれからも被写体を見つけて撮りつづけます。

見せないんだったら、撮らないのと同じだ。 :荒木経惟

これは人を撮ったら撮らせてくれた人にその写真を見せろという意味かな。
それとも撮った写真は世の中に発表しろという意味かな

モデルになってくれた人にその写真を見せるにしろ、
自分が撮った写真を世の中に発表するにしろ、
そう考えると撮影に力が入ります。

「とりあえず撮っとけばいいや」というわけにはいかなくなります。
真剣に被写体と向き合わなくてはいけなくなります。

人を撮るのなら「その人の魅力がわかる写真」になるように。
料理を撮るのなら「美味しそう」「食べてみたい」「お腹がすいてきた」と思われるように。
ペットを撮るなら「かわいい」「さわってみたい」と思われるように。

どうしたらそんな写真が撮れるのか探りつづけないといけなくなります。
しんどいけどね。

でもそこが写真の楽しさのひとつではないかな。

良い写真って言うと何かヘンだけど、それって単純に、相手が喜んだり、良い気持ちなった時間を撮ったものなんですよ。 :荒木経惟

きっと良い写真ってそうなんでしょうね。
でも、撮影中に相手を喜ばせたり、良い気持ちにさせるのってほんと難しい。

よく聞く話に「人物の撮影中にカメラマンが怖い顔になる」ってのがあります。
撮影に集中するあまり真剣になりすぎるのか、余裕がなくなってしまうのか顔が怖くなってしまうのです。

「モデルは撮り手を映す」とも言われます。
カメラマンの雰囲気がモデルに大きく影響します。

私も人を撮るときは気を付けないと。

あともうひとつ、相手が喜んだり、良い気分になった時間を逃さないこと。
この名言では「瞬間」ではなく「時間」と言っています。
これポイントかも知れません。

いろんな解釈ができますが「時間」という言葉を使っているってことは一瞬ではないということでしょうか。
ほんのわずかな瞬間ではなくある程度継続した時間ということで荒木経惟さんはおっしゃっているのだと想像します。

撮影中に相手が喜んだり、良い気持ちになるのは一瞬ではなく連続した時間であり、一枚の写真にその連続した時間を写し撮っている。

なんて深読みのし過ぎですかね。

オトコならオンナを撮れ。かっこつけて空とか街とか撮るな。

ちゃんと隣にいる女の子を撮れ、だよ。 :荒木経惟

「かっこつけて空とか街とか撮るな」って鋭い一言です。
そう、男はとくにカッコつけちゃうんですよ。カメラ持つと。

女の子を撮りたいけど声をかける勇気がない。
撮らせてほしいと言い出せない。

ヘンに意識しちゃってブレーキがかかってしまうんですよね。
分かります。

仕方ないからスカして空とか撮ってみて「結構イイ感じ」とか思ってる。

あれ、これって自分のことだ。(汗)

人に好かれる、親近感を持たれるっていうのは、実は写真家になるための最大の要素かもしれないな。 :荒木経惟

これ、ほんとにそう思う。
人を撮る写真家は人に好かれる能力のようなものがある。
魅力って言うのか、人間力って言うのか。
とにかくそういった能力。

「この能力は教えようとしても教えられない」と 荒木経惟さん自身が本の中で語っていたことがある。
確かにそうなのかも知れない。

これは天が荒木さんに与えた才能なのでしょう。
だからこその天才アラーキーなんですけどね。

自分の身体でズーミングする、その二、三歩で決まるね。そんときの、こっちが向こうに与える気合いみたいなもので勝負は決まる。

:荒木経惟

同じようなことを以前どこかできいたことがあります。
ズームレンズでズームして大きく撮るのと自分から近寄って写すのとは違うって。
これは確か風景写真の話だったと思います。

荒木経惟さんのこの言葉は人物写真のことを言っているのだと思います。
荒木さんがモデルさんの目と鼻の先にカメラをセットして撮ってるところの写真を見たことがあります。
「こんなに近くで撮るんだ」とびっくりしたものです。

いつもこんな至近距離じゃないと思いますが、「気持ちが入ってるなぁ」と感じました。
その気持ちはモデルさんにも伝わります。
伝わらないってことは考えられませんよ。普通。

そうすると出来上がる写真にも大きく変わってきます。

何でもかんでも精神論で片づけるのは好きじゃないけど、やっぱり「気持ち」って大切です。

写真には”情”が写る。 被写体に対する思いやりと慈しみ、 つまり情を写してあげる気持ちが必要なんだ。:荒木経惟

私も写真には「情」が写ると考えています。
人間はもちろんペットなどの動物の写真に「情」を感じることが多々あります。
空や海、街並みの写真にもある種の 「情」のようなものを感じます。
当然ながら感じないものもありますし、意図的に「情」を排除した写真もあるでしょう。

何らかの目的で「情」を排除した場合を除いて、普通の場合人は「情」を感じる写真を見ると「いい写真だなぁ」と思うのではないでしょうか。
「情」を感じる写真に魅かれるんでしょうね。

私も今後は「情」を意識して撮ってみようかな。
今までの写真と違うものが撮れるとうれしいな。

まとめ:アラーキーの名言に学ぶ

天才アラーキーこと荒木経惟さんの名言をいくつか紹介しました。

どれも写真を撮る者に深い示唆を与えてくれるものばかりです。

荒木さんは写真集も書籍も数多く出されています。
荒木さんの書籍に目を通すと名言がゴロゴロ出てきますよ。
名言の宝庫です。
今回紹介したものはそのほんの一部です。

長年人物を中心にモノクロで撮影してきた天才アラーキーがどんなことを考えているのかを知って写真の深淵を少しだけのぞいたような気になります。

一方でカメラのスペックや撮影のテクニックなどの話はほぼ皆無です。
おそらく天才アラーキーが語りたいのはそこでなないのでしょう。

興味のあるかたはぜひ荒木さんの本を手に取ってみてください。

では。

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