こんにちは いもてぃーです。
今回は書籍の紹介をしたいと思います。
今回紹介するのは
ミケランジェロとヴァザーリ (イラストで読む「芸術家列伝」)
という本です。
どんな内容の本かというと
ルネサンス期の芸術家ミケランジェロの作品と
それにまつわるエピソードや
彼をとりまく人々との関係が書かれています。
作者は、ミケランジェロと深い交流があった
建築家・画家のヴァザーリという人です。
ヴァザーリの記した「芸術家列伝」を
わかりやすい訳にたくさんのイラストを
加えた読みやすい本です。
ミケランジェロやルネサンス期について
知りたい初心者におすすめです。
西洋美術の知識がなくても理解できます。
今回は本からの抜粋を交えながら内容を紹介したいと思います。
紹介するエピソードは
① 24歳のとき 「ピエタ」 でローマデビュー!
② ミケランジェロは夜逃げが得意だった。
③ ダヴィデ像は他人の作りかけから彫った。
④ ミケランジェロの彫刻はまさに神業
⑤ レオナルド・ダ・ヴィンチとは仲が悪かった。
⑥ 出来の悪い弟を経済的に面倒見ていた。
⑦ 亡くなる前に大量のスケッチを焼いてしまった。
⑧ 天才芸術家ミケランジェロの素顔
です。
では早速いきましょう。
① 24歳のとき 「ピエタ」 でローマデビュー!
24歳のとき 「ピエタ」 でローマデビュー!
ミケランジェロが24歳の時に完成させた「ピエタ」はバチカンのサンピエトロ大聖堂に収められていますが、この作品が公開されたときはそれはもう多くの人がひと目見ようと訪れました。
絶大な驚き、古代の彫刻に対抗する、いやそれを超えるほどの出来栄え、当時としてはこんなに完璧で美しい彫刻を若者が制作したということは センセーショナルな出来事だったと思います。
「キリストと比べて聖母が若すぎる」という人もいたようです。これに対してミケランジェロは「純潔な女たちの方が そうでない 女たちに比べてはるかに長くその若々しく清らかな容貌を保つのをご存知ありませんか?」と反論します。
写真を見ると確かに若いなぁという印象はうけます。
まあ、これがミケランジェロの聖母のイメージだったのでしょう。
それにしても24歳のときの作品が バチカンのサンピエトロ大聖堂にあるなんて
どんだけすごいんじゃ ミケランジェロ
② ミケランジェロは夜逃げが得意だった。
ミケランジェロは夜逃げが得意だった。
ミケランジェロは外的圧力がかかると投げ出してよく逃げました。逃亡癖があるようです。
「フランスがフィレンツェに攻めてくる」や
「制作費を教皇が支払ってくれない」などの理由で
ミケランジェロは夜逃げしています。
孤高の天才芸術家もきっといろいろあったんですね。
③ ダヴィデ像は他人の作りかけから彫った。
ダヴィデ像は他人の作りかけを譲ってもらい彫った。
ダヴィデ 像は 他人が彫りかけて
そのまま放置していた 大理石を
ミケランジェロが譲ってもらい
そこから新たに 掘って完成させました。
この大理石は 約6m の大きさでしたが
作りかけのため 穴が開いていたりして
とても不恰好で製作しにくい形でした。
それでもミケランジェロは その大理石を測り直し
何か彫り出せるか考えた 末に譲ってもらったとのことです。
やり直しのきかない大理石で一発勝負をするようにフォルムを決めて彫っていた。しかも ダヴィデ は4m 強もの巨像。人は下から見上げるはずだから 小さく見えないようにわざと頭が大きく作られています。見上げた時にちょうど良いよく見える大きさを計算してあるのですからまさに神業としか思えません。
④ ミケランジェロの彫刻はまさに神業
ミケランジェロの彫刻はまさに神業
ミケランジェロは他の芸術家とは全く違う方法で彫刻を制作していました。
そのやり方とは・・・
彫刻を彫るときたいていの人は例えば四角い石ならばまず前後左右360度大まかに彫って 徐々に形を決めて行くやり方をすると思います。しかしミケランジェロが残した未完成作品を見ると 全て正面から後方にひたすら彫って行くやり方。石の中からまさに像が浮き出てくるみたいです。 頭の中に完璧な形があるからざっくりと彫るなんてことはしなかったんでしょうね。
すごい、すごすぎます。ミケランジェロ。
本物の ダヴィデ像が見たいよw
⑤ レオナルド・ダ・ヴィンチとは仲が悪かった。
レオナルド・ダ・ヴィンチとは仲が悪かった。
23歳も年上のダ・ヴィンチとミケランジェロは不仲だったとも言われています。その発端はダヴィンチが書いた「絵画論」の文章に 「画家は優雅だが彫刻家は汚い労働者のようだ」とあったことがミケランジェロの癇に障ったようです。 以降ミケランジェロはダ・ヴィンチに喧嘩腰で接しました。
「画家は優雅」というのは、
筆と絵の具だけで
素晴らしい作品を生み出すことができる
「彫刻家は汚い労働者のようだ」というのは
汗と石くずにまみれてノミを使い
作品を生み出すということでしょうか。
私には画家と彫刻家に上下をつけるなど
はなから発想もしなかったことですが
ダ・ヴィンチがそう言うのなら
それなりの根拠があるでしょう。
そしてそれをミケランジェロは許さなかった。
ルネサンス期の2大巨匠が
仲が悪かったというのは
興味深いですよね。
⑥ 出来の悪い弟を経済的に面倒見ていた。
出来の悪い弟を経済的に援助して面倒見ていた。
ミケランジェロには兄が1人と3人の弟がいました。 <中略 > 下の3人の弟はどれもこれも出来が良くなかったようで 真面目に働かず金を無心してくる彼らのために仕事の世話をしたり、土地を買って与えたりしますが 頭痛の種だったようです。
家族や親戚の間でのお金の問題は
現代でも頭の痛い問題です。
ミケランジェロのような孤高の芸術家には
そのような俗っぽい悩みとは
無縁だったかのように想像してしまいますが
人の世はいつの時代も変わらないのかもしれません。
⑦ 亡くなる前に大量のスケッチを焼いてしまった。
亡くなる前に大量のデッサンやスケッチを焼いてしまった。
亡くなる少し前ミケランジェロは自作の大量のデッサン、スケッチ、カルトンを焼いた。それは作品を生み出す苦悩や試行錯誤を他人に見せずに 完璧な作品でなければ見せたくなかったからだ。
なんともったいない!
デッサンやスケッチがたくさん残っていれば
日本でも実物を見られる機会が増えたのではないでしょうか
ミケランジェロならデッサンやスケッチだけでも
十分に作品になると思いますがね。
しかし、ミケランジェロとしては
完成作品だけを世に残したかったのでしょうね。
制作過程を見られるのを嫌がる芸術家も多いと聞きますからね。
彼ほどの芸術家ならなおさらでしょう。
⑧ 天才芸術家ミケランジェロの素顔
天才芸術家ミケランジェロの素顔
青年期には仕事に集中するためわずかのパンとワインで過ごし、 年老いてからも「最後の審判」の製作まで1日の仕事を終えた後にささやかな食事をとるだけであった。 富を有しても暮らしは清貧で 友人と食卓を共にすることはほとんどなかった。また誰かから贈り物を受け取るとその人への恩義が負担になるので、人からの贈り物を好まなかった。
ミケランジェロほどの芸術家なら
もっと贅沢な暮らしができたのではないかと思いますが
つつましい生活をおくったのですね
これも大芸術家のひとつのスタイルなのですかね。
いかがだったでしょうか?
ミケランジェロに対する印象が
だいぶ変わったのではないでしょうか
史上屈指の芸術家でも
現代に生きる私たちと同じような悩みを
持っていた部分もあるようです。
ダ・ヴィンチと仲が悪かったことや
夜逃げをしていた一方で
出来の悪い弟の面倒を見ていたということなど
このようなエピソードを知るにつけ
ミケランジェロに親しみを感じるようになりました。
この本にはまだまだ紹介してないエピソードや
作品の解説がたくさん載っています。
ミケランジェロやルネサンスに興味を持ったかたは
一度この本を手に取ってみてはいかがでしょうか
ではまた