こんにちは、いもてぃーです。
今回は「私は何のために写真を撮るのか」ということについて考えてみました。
色々考えてみると私の「何のために写真を撮るか」と言う、いわゆる「写真を撮る目的」は時間の経過とともに変わってきています。
ということで私が初めてカメラを買った時から時間の経過を追って「写真を撮る目的」を書いていきたいと思います。
1 単純にカメラを使いたかった。
話はかなり昔になるが 大学生の頃 アルバイトをして初めて一眼レフカメラを買った。
カメラには中学、高校の時から興味があり「いつか欲しいなぁ」と思っていた。
当時は 携帯電話やスマホなどがなかったため 写真を撮るということが 今ほど一般的な行為ではなかった。
一眼レフを持っているということは特別なことだった。
そんな状況の中、アルバイトをしたお金で 待望の一眼レフを私は手に入れた。
私が初めて手にした一眼レフカメラは ペンタックスのプログラムA だった。
プログラムオートと絞り優先がついていた。
▲ PENTAX program A
今でこそプログラム、絞り優先、シャッタースピード優先、マニュアルがついているのは当たり前だが 当時はそれが当たり前ではなかったのだ。
この四つのモードを搭載していることをフルモードと言っていた。今となっては死語である。
とにかくこの時代、フルモードのカメラはまだ少なかった。
デジタルカメラと違いフイルムの カメラは 撮影した後、現像とプリントをしなければならない。
フィルムカメラで自分が撮った写真を見るためには フィルム代、現像代、プリント代が かかるのだ。
デジカメに比べるとランニングコストが異常に高い。
私はお金を節約するために 安い白黒フィルムを買って撮影していた。
カラーネガフィルムより白黒フィルムの方が安く売られていたのだ。
しかも、学校に暗室があったので 自分でフィルム現像とプリントをやっていた。
自分で現像とプリントをやればさらに お金を節約することができるからだ。
とにかく 写真撮影にかかるコストをできるだけ低く抑えて 撮影を楽しんでいた。
今考えると当時撮っていたものは何でもないものばっかりである。
学校の中の 様子や自分が住んでいる街など身の回りにあるものが中心だった。
当時の私はとにかくシャッターを切るのが楽しくて写真を撮っていた。
2 風景の記録として写真を撮る。
大学時代は休みを利用して旅行をしていた。
たいていはJRの「青春18きっぷ」を利用しての旅行だった。
旅先ではカラーネガフィルムを使って撮っていた。
せっかくの旅行だから白黒じゃなくカラーで風景を撮りたいと考えたのだ。
実家の福岡に帰省したときも故郷の街の風景をカラーネガフィルムで撮った。
次に帰省したとき建物ができて風景が変わってしまっているということがよくあったので風景を記録するという目的で撮っていた。
ここまでが大学時代、このあと大学を卒業して就職すると忙しくなってしまい写真から離れてしまった。
その後、ちょうど転職するタイミングで友人たちと写真グループ展を開くことになりそのための写真を撮った。
私にとって初めてのグループ展だった。
撮ったのは川崎の埋立地にある工場の写真である。
曲がりくねった巨大なパイプや引き込み線などモチーフとして面白かった。
これも「風景の記録」という意味があったのだと今思う。
グループ展の後、写真を撮る気持ちが低下してしまい再び写真から離れてしまった。
3 物欲が爆発、メーカーの違い、レンズの描写の違いを楽しむ。
初めてのグループ展の後、写真を撮りたいという欲求がなくなってしまい再び写真から離れてしまった。
当時はまだフィルムカメラの時代でデジカメはなかった。
写真を撮ろうと思ったらフィルムを買ってきて撮影し、撮ったら現像に出すというめんどうな一連の行為が写真離れの一因でもあったと思う。
写真の完全復活のきっかけとなったのは初めての海外旅行だった。
当時、妹がモンゴルに住んでおり会いに行くことになった。
眠っていた一眼レフを海外に持ち出しモンゴルの風景や人々を撮った。
旅行の後、またグループ展の誘いがありそのときはモンゴルの写真を展示した。
この頃何人かの人たちとの出会いがあった。
ほとんどが写真やデザインをやっている人たちだった。
その中の一人からOLYMPUS OM-1 をいただいた。
▲ OLYMPUS OM-1
「新しいカメラを買ったのでもう使わないから」という理由だった。
初めて使うOLYMPUS のカメラ、OM-1のカッコよさに私はシビれてしまった。
ほぼ同時期に友人からCONTAX 139 もいただいた。
▲ contax 139
初めて使うカールツァイスのレンズにものすごい衝撃をうけた。
他のメーカーのレンズとは色が違うのだ。
何よりファインダーを覗いたときの像が美しい!
こうして私はOLYMPUS とCONTAXのボディーを手に入れ、それにつけるレンズを中古で買いあさった。
物欲のビッグバンである。
このころの写真を撮る目的は、複数のカメラの操作に慣れることとクセをつかむこと、中古で買ってきたレンズの描写を確認することだった。
4 写真サークルの講評会やコンテストに向けて撮る。
それから2、3年して「カメラ・レンズ欲しい病」が治まってきたころ私はある写真サークルに入っていた。
かなりレベルの高い写真サークルだった。
そのサークルを主催している方の得意ジャンルはスナップだったこともあり、私もスナップを撮る機会が増えた。
月に2回は撮影会があり、サークルの人たちといろんなところに出かけた。
もちろん風景も撮ったが、お祭りやイベントでスナップをたくさん撮った。
私はスナップ写真の面白さと魅力に夢中になった。
そのサークルでは2ヶ月に一度、講評会が開かれた。
サークルのメンバーそれぞれが撮った写真をA4~A3サイズにプリントしてきて大きなテーブルの上に全て並べる。
ゲストで招いたプロの写真家の先生に一席、二席、三席、佳作を選んでもらう。
当時の私はいろんな写真コンテストにも応募していた。
私は講評会でプロの先生に写真を選んでもらうこととコンテストに入賞するために写真を撮っていた。
ちなみにサークルの講評会と写真コンテスト応募の結果はというと、ある時は入選し、あるときはだめだった。
その繰り返しだった。
特にサークルの講評会は選者であるプロの先生の趣味が大きく結果に反映される。
私はある先生にはほめられ、別の先生には「だめだ」と言われた。
いろんな意味で写真について考える機会をいただいたと思っている。
5 写真を見てくれた人に喜んでもらうために撮る
そして、ここ5年くらい同じメンバーと毎年秋に写真のグループ展をやっている。
会場も毎回同じということもあり、会場の係の方たちとも面識ができた。
私が主に展示しているのはねこの写真と料理の写真。
たまに風景を加える年もある。
招待した友人や同僚、偶然通った人たち。いろんなかたが展示している写真を見てくれる。
私の写真を見た人が喜んでくれると私も嬉しくなる。
ここ数年の私は写真を見た人に喜んでもらうことを目指して写真を撮っている。
写真を見た人が喜んでくれると私も嬉しくなるので、その嬉しさを味わいたくて撮っているとも言える。
会場が市立図書館内なので、写真を見てくれる人は写真家でも芸術家でもないごく一般の人たちである。
そういったごく一般の人たちに自分の写真を受け入れてもらうことの意外な難しさを感じている。
一人よがりの自分と向き合わなくてはならないからだ。
とまあ、こんな感じで現在の私がある。
我ながら楽しんだり、悩んだりを繰り返しているなぁと思う。
まとめ:何のために写真を撮るのか
時間の経過とともに変化する写真を撮る目的を書いてきた。
いろんな目的があったが全てに共通することがある。
それは全ての目的にある種の喜びや快感が伴うということだ。
そうだ、自分は何らかの喜びや快感を味わいたくて写真を撮ってきたのだ。
この記事をここまで書いて初めて気付いたことだ。
しかし、写真を撮る目的の変化はこれで終わりではないだろう。
すごろくの「上がり」はもっと先にある。
シャッターを切る度にサイコロが振られてコマが進んでゆく。
コマが進めは自分が変わる。
周りの人も変わる。
そして自分の写真も変わるのだ。
もしかしたらこのすごろくに「上がり」はないのかもしれない。
それでも私は何らかの喜びや快感を求めて今日もシャッターを切る。
コマが進むと写真を撮る目的は自分の意志とは関係なく変化するだろう。
今までがそうであったように。
首からカメラをぶら下げた私をこれから待っているのはどんな喜びや快感なのだろう。
それは撮り続けることでしかわからない。
「これからも撮り続けよう」とあらためて思った。
ではまた。